リレー投函「2020を生きぬく」

2020年6月13日土曜日

緊急事態宣言の解除後について

私は、都内で主にヘルパーさんの手を借りながら生活しています。一人でできることが少ないので、一日のすべての時間を家族ではない誰かと過ごしています。3月のはじめにダイヤモンドプリンセス号のニュースを聞いていて、何となくひとごとのように思っていたのに、感染が拡大して、今度は自分のこととして捉えなければいかなくなりました。「人と会うことを避けること」や「ソーシャルディスタンスを保つこと」が重要とされる中で、自分の生活を振り返ってみると、一週間に10人以上の人から介助を受けるし、介助を受けるとなるとソーシャルディスタンスどころではなくて、食事の介助や、移動の時には抱えてもらわなければいけないのだから、日常生活の動作を自分だけで行える人に比べて、感染のリスクはかなり高いということを再認識しました。また、自分だけの問題ではなくて、ヘルパーに移してしまう可能性もあるので、毎日緊張してすごしています。それでも、家族以外の人の介助を受けながら生活することを自分で選んだので、常にいろいろなリスクを考えて行動すること、たくさんの人に支えられながら生活が出来ていることを意識して暮らしています。
なので、外出を極力さけることは慣れてしまえば苦ではありませんでした。それが、自分と周りの人たちを守ることに繋がるし、正直に言ってしまえば、障害の無い人も含めてみんな我慢していたから、我慢することが日本の社会で当たり前とされていたから、自粛も受け入れやすかったのだと思います。それは緊急事態宣言が出されていた時の話です。

5月の下旬に緊急事態宣言が解除されて、十日ほどが経ちました。街の人は浮足立っていて、「あれがやりたい」、「あそこに行こう」などと計画を立てています。いつまでも経済を止めているわけにはいかないし、いろいろなお店も再開しているし、少しずつ活気を取り戻そうとしているのを感じます。実は、緊急事態宣言が解かれただけで、いまだ自粛が求められている中ではあるのですが、コロナウィルス以外のことに、人々の意識が向き始めたことは喜ばしいことだと思っています。
では、私はどうなのかというと、そんな人たちのことをちょっとだけ羨ましくも思ったりします。でも、それ以上に、街に人が出てきて、また感染が広がるのではないかと心配しています。ヘルパーさんは電車やバスを使って通勤する人もいるので、私がずっと家にいてもヘルパーさんを介して感染する恐れは高くなります。それでも、私は、介助を必要とする人達にとっては、生活が成り立たないので、ヘルパーさんに休んでもらうという選択肢はありません。
だから、もうしばらくは家にいようと決めています。それはいつまでかというのは、自分の中にあります。それを過ぎたら、少しずつ外出をしようと思っています。障害があると体も強くないし、背負っているリスクも大きいですが、体と自分の置かれた環境を考えてふさぎ込んでしまうと、気持ちが前向きにならず、心が疲れてしまうので、様子を見つつ、自分の行動を考えることにします。コロナがいつ無くなるのか、あるいはいつワクチンができるのかわからない現状で、私たちに出来ることは自分の気もちも含めてバランスをとることかなぁと思っています。早くたくさんの人と会って、遠慮なく笑える日がきますように。
(文:Kさん)

2020年5月22日金曜日

PCR検査を受けて

 

4月9この日の夜ヘルパーが帰ったあと、調子が悪くなり体感的には38度から39度の間ぐらいで咳も出て、のども痛く、散発的に息苦しさもあったので、コロナかもしれないと思った。10日も熱っぽかったので東京都のホームページに掲載されている「新型コロナウィルス感染症が心配なとき」に、かかりつけ医がいる場合は、かかりつけの病院に連絡してくださいと書いてあったので連絡したのだが、北療と明理会病院は、どちらも保健所に連絡してください、と言ってきた。東京都のホームページは、保健所に電話してくださいと書いてくれたらいいのにと思った。4月10日、朝起きて熱を測ったら36度8分だったけど、熱っぽさとのどの痛みがあったので保健所に連絡して、明理会病院に行って、熱を測ったら37度5分ほど熱があったので、肺のレントゲンを撮ったら「異常なし」という結果であった。しかし、感染拡大ということが考えられるので「私のところでは複数のヘルパーが介助に従事し、その人たちが複数の現場に行くのでPCR検査を受けさせてほしい」と医師に頼んだのだが、基礎疾患をもっている人は2日間、そうでない人は4日間自宅安静と言われ、僕の場合は、今日は自宅安静ということになると告げられた。もしかしたら、障害者は基礎疾患に入るかもしれないというように2日間でPCR検査を受けられる対象になるかもしれないという曖昧な回答をもらった。そして帰ってきたら38度3分の熱があった。

 

4月11日土曜日、帰国者接触者外来に9時から電話をし続けたけど、つながったのが夜22時半であった。具合は引き続き悪かったので、明理会病院と同様のことを述べPCR検査を受けさせてくださいと訴えたが、「いまは濃厚接触者と重症化しやすい基礎疾患者から優先的にPCR検査をしている」と言われ、「明日明理会病院に行ってください」、と言われた。そして「北区の保健所に、今日連絡があったことは週明けには伝えておきます」と告げられた(13日の月曜日、保健所に電話したとき情報は伝わってなかった)。

 

4月12日、明理会病院に電話をして昨日の夜帰国者接触者外来で明理会病院に行ってくれと言われたことを伝えると、「発熱外来に来てください」と言われ、午前中に明理会病院に行き、血液検査とCTを撮って、「異常なし」という結果が出た。自分の所属する事務所に結果を報告すると、インフルや他のウイルス検査もしてほしいと言われていたので、そのことを病院に伝えたら、「インフルは流行がおさまっているし、コロナの感染リスクもあるので検査はできない」と言われた。また、「仮にコロナであっても軽症です」と言われた。

 

4月11日に今は濃厚接触者と基礎疾患者を優先的にやっていると言われ、12日は病院にPCR検査を受けたい理由を説明し、さらにインフルや他のウイルスの検査を頼んだが受けさせてもらえなかったということで、コロナだったらヘルパーに知らせて体制づくりをしたかったのだが、コロナかどうかもわからないし、クラスター感染が起きるまで放置されるのかと思って、11日から12日にかけていっきに不安になった。ヘルパーは他の障害当事者にも入っているし、当事者の中には基礎疾患の人もいるし、そもそも障害当事者は一般の人と比べたら肺活量が低かったり、免疫力が低かったりして重症化しやすいし、またヘルパーの家族にも小さなお子さんや高齢者が同居しているので、その人たちを守れるのか、介助体制は守られるのかということが頭をよぎった。

 

10日の日はもしコロナだったら、他の人に広げたらいけないので入院しようと思っていた。だけど12日に病院に行ってみると看護師たちは、対面で話さないようにしていたり、マスクがずれていることを指摘したりしていて、切迫感が全然違っていた。ニュースでは医療崩壊という報道がなされており、もし、入院ということになれば「寝たきりにされる」と考え入院はできないなと思った。発熱外来も、囲いのせまい部屋であり、発熱した人が来るということもあって、その空間に居ることで具合が悪くなった。

 

4月13日月曜日の夜、このままでは不安が絶頂に達したので、22時41分川合さんに電話をして「高熱が続いています。自主隔離が難しいのでPCR検査が受けたいのですが、保健所は医師の診断がないと検査できないというし、医師は肺炎の徴候がないから検査できないと言うし、身体障害者はこのままだとクラスター状態になるまで放置されます」と電話をした。その他に「知的障害者自立生活声明文声明文プロジェクト」の人たちにもメールをした。

 

4月14日(火曜日)は、10時に明理会病院行って、12時まで発熱外来のBOXで待機させられた。前日川口さんが強く要請したこともあり、院長対応になっており、PCR検査を受けられることになった。しかし順番があるので15時にきてください、と言われ、一回帰宅してからやっと検査を受けることができた。

 

この日参議院議員の木村さんに、Twitterに上げて頂き、それを見た朝日新聞の記者森本さんから取材の連絡を受け、その後1か月間、川口さん、小野さん、僕が電話取材を受けた。

 

森本さんは、保健所や病院から診断を拒否されていると思っていたらしく、医療体制の不備について記事を書こうと考えていたと思われ、僕と話がかみ合わなかった。だけど僕は保健所や病院の関係者は、当事者にとって自主隔離は難しいというだけでなく、ヘルパーの家族を守れないということを知らないので、そのことを訴えたかった。その話も森本さんはだんだんわかってきて、最後の方は話がかみ合ってきた。

 

5月18日、森本さんの記事が載っている朝刊がきた日に、大フォーラムのメーリスで集団感染が起こった高砂ホームの介護職員にエールメッセージをというメールが来たので、僕はエールメッセージを送った。そして、介護職員の方から返信が届き僕のメッセージをアップしてくださるということになった。

 

感染拡大を防ぐため4月10日金曜日から小野さんは、1週間連続で9時から22時までの対応となり、その後は9時から18時まで、結局25日まで、都合16連勤になった。後半の18時以降は近所に住んでいる川口さんが連絡したら来るという体制をとった。

 

ヘルパーの小野さんが、私がコロナの疑いがあるなか、いつもどおり献身的に介助をしてくれたおかげで安心できたし、心強かった。僕は過去の体験で熱を測ったとき、自分が元気だと感じていても、熱が38度あるから休めと言われたり、37度でもだるいから休みたいと訴えても熱がないから学校に行きなさいと看護師に言われたりしたことから熱を測るということがイヤだったので、体温計をわざと緩く脇にはさんだり、強くはさんだりして不正確な数値がでるようにして、自分の都合がいいようにしていた。自分のことを信じてもらえなかったことから、熱を測るということになると吐き気をもようすぐらいイヤだった。熱を測るのがイヤだというのも、心理的虐待からきていることを改めて知った。だけど小野さんの態度が冷静だったので、僕の方でも感情が揺れることなく、正確な数値を報告することができた。小野さんが介助者でほんとによかった。

 

僕が夜中に川合さんに助けを求めたら、即座に木村英子さんにすぐにつなげてくれた。古賀さんも心配してくれて、フェースシールド等の差し入れを申し出て頂いたり、熱の状態を心配して頂いたりして、うれしかった。皆が僕のために動いてくれたことによって、自分の命の尊さを知ることができた。


(文:市川さん)

2020年4月15日水曜日

外出自粛と24時間介助

 私はCP(脳性麻痺)という障害があり、移動する・トイレする・食事するなど生活のあらゆることに介助者が必要だ。一週間に約20名が交代で、私の生活を支えてくれる。
今、この現状に、COVID19の大流行が襲っており、社会は外出自粛やテレワークを呼びかけている。介助を依頼している立場として、介助者に申し訳ない気持ちが心のどこかで沸いてしまい、とても複雑である。確かに私が生きていくために介助が欠かせず、私も憲法25条を享受する権利がある。ただ私の介助に来ることで、介助者及びその家族への感染リスクが上がるのも事実。介助者を気にしすぎて、介助内容を過度に我慢するのは間違っているが、しかし健康を全く顧みないのも、依頼主として如何かと思う。答えを出すべき問題が、未だに出せないでいる。
 とりあえず、日々と生活で介助者とよくコミュニケーションをとり、一緒に決めていくことをしようと考える。

(おのえ)

2020年2月22日土曜日

最小制限環境

私がこの骨格提言で一番大切だなと思うことは、住む場所や生活スタイルを決めるのは本人の意思に基づくべきだと述べているところだ。
アメリカには、「最小制限環境」という法理がある。これは(障害のある個人教育法の大きな柱の一つで、行政が市民に対して何らかの措置を行う場合、最小の制限された環境に置かなければならないという原則。例えば特別学校より特別学級、特別学級より普通学級へというように、制限のない方へ措置する。
骨格提言は、最小制限環境の考え方に合致する初めての政府文書ではないだろうか